いた。(笑)

いた。(笑)

エリア [kamakura-chigasaki]より 想いを込めて
私の頭の中には映画館があって、常に物語が上映されている。イメージとしては、ちいさな私が「ただいま」と私の体の中へ帰ってきて、首のあたりの 螺旋階段をトコトコと上がり、革張りの重い扉の向こうの「映画館」に入っていく感じだ。 その舞台は主に湘南。鎌倉のひっそりとした住宅街では、目の端に摩天楼仮面が マントを翻して路地へ入っていくのが見えたり、茅ヶ崎の海岸沿いでは 耳の奥でエレクトリックでボサノバなサウンドが鳴っていたりする。 そこで出逢うはずもない人にすれ違ってみたり、一度も訪れたことのない土地を 景色に重ねてみたり、よく知った顔に「はじめまして、もう一度出逢えたね」と言われてみたり。 日常の中のほんの一瞬のスパークにめぐりあえる土地なのではないかと思う。 私の瞳は現実という物語を捉えている。そうあってほしい形を投影した現実なのかもしれない。 私のフィルタを通した現実。それを形として 作品にしておきたい。私の人生のもう一つの物語だ。 人生とは、あらかじめ決められたストーリなのであって、みなそれぞれ生まれた瞬間に手にした台本に、事の全てが書かれていて、それが進行しているだけなのではないかと 思う瞬間がある。 人生には良くも悪くも自分の意図しない出来事が起きる。 役者が抱くべきは、「なぜこの役を演じなければならないのだろうか」という疑問ではない。「この役はこう演じなければならない」という信念だと思う。 私は観客として人生を楽しみながら、役者として日々どのように過ごすべきか模索する存在だ。この終わりのない作業の末に、いつか感動的なスペクタクルを世に残したいと 思っている。 それが、confituretokyo そのものなのです。 |